日本は、昔ヨーロッパで「黄金の国ジパング」と呼ばれ、憧れとされた時期がありました。そのきっかけはマルコ・ポーロ(1254~1324)が、アジア諸国に行った際に見聞したものをまとめた書物『東方見聞録』です。
「ジパングは、東海にある大きな島で、大陸から2400kmの距離にある。・・(略)・・宮殿の屋根は全部黄金でふかれており、道路の舗装路や宮殿の床は4cmの厚さの純金を敷き詰めている。・・(略)・・」
「この国ではいたる所に黄金が見つかるものだから、国人は誰でも莫大な黄金を所有している。この国へは大陸から誰も行った者がない。商人でさえ訪れないから、豊富なこの黄金はかつて一度も国外に持ち出されなかった。右のような莫大な黄金がその国に現存するのは、全くかかってこの理由による。」
などと魅惑的な話が満載で、コロンブスを始めとした沢山の航海士が日本を目指したそうです。
そんな「黄金の国ジパング」の始まりは、実は東北なんです。上記の宮殿についても岩手・中尊寺の事を書いていたのではないかと言われています。
今回はその日本産金始まりの地を紹介します。
場所は宮城県涌谷町。
東北自動車道の古川I.Cより車で30分、三陸自動車道の松島北I.Cより車で30分です。
電車で行く場合、仙台駅から約90分で涌谷駅に着きますが、かなり本数が少ないので注意してください。
産金場所は写真のように沢山分かれています。他にも涌谷町だけでなく岩手まで広く産金場所が存在していました。
749年、聖武天皇が奈良の東大寺の大仏を造っていた際の最大の難題は黄金調達でした。それまでは国外から金を輸入していましたが、東大寺の大仏を完成させられるほどの黄金の調達は難しい状況にありました。その窮地を救ったのが、この涌谷町の金なのです。当時の陸奥国守の百済王敬福が金13キロを献上したことにより、無事に大仏が完成したのです。
今回はそのなかでも最も古く、日本最初の産金地である国史跡・黄金山産金遺跡にある「天平ろまん館」を紹介します。
場所はここです。
涌谷駅からタクシーで10分ほどですが、車で行った方がいいでしょう。
赤い平屋建ての建物で、館内は博物館と土産物屋になっています。ゆっくり観て1時間ほどです。
世界の砂金や東大寺の大仏建立時の生活や金献上時の出来事などを詳しく知ることができます。また、実際に発掘された岩に埋まる金を観る事ができて、実際の金産出の雰囲気を知ることもできます。
外では砂金取りもできます。昔ながらの「椀がけ法」による砂金取りで、黒い皿状の道具で砂をすくい、金の比重の違いを利用して、水で洗いながら砂などを流すことで砂金を見つけることができます。冬は温水になるので、年中快適に体験できます。
ホタルも観れるほど、今でも自然が豊かなところでもあります。
また、この場所は万葉集の最北限の地としても知られています。
749年の陸奥国の産金が国家の一大慶事と讃えられ、聖武天皇の詔書が発せられた時、大友家持は任国の国主館において、「陸奥国より金を出せる詔書を賀く歌」を詠み、「万葉集」に遺しています。
そして、この歌は天平ろまん館の隣にある黄金山神社境内の石に刻まれております。
普段馴染みのない万葉集を少し身近に感じられる場所です。
神社もあります。黄金山神社です。それまで日本では採れないと思われていた金が大量に発見された場所にある神社です。日本で一番黄金のご利益がある場所と言ってもいいでしょう。ここでお参りすればきっとお金持ちになれるはずです。
黄金の国ジパングの始まりであり、奈良の大仏とも重要なつながりがあった東北。
歴史の表舞台ではないかもしれませんが、奈良や京都などの中心地とはちょっと違った角度から過去を振り返ることができます。
少しマニアックな場所な感じもしますが、黄金の歴史に興味がある方は行ってみると面白いと思います。また、週末日帰り旅行などで利用してみてもいいのではないでしょうか。
また、みちのくGOLD浪漫はホームページもありますので、最後にご紹介します。
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