【書評】さんてつ-日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録-

書評
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今回は漫画「さんてつ」をご紹介します。三陸鉄道は岩手県海岸沿いを走る鉄道で、東日本大震災で大きな被害を受けました。地震と津波により街が壊滅して誰もが絶望する中、三陸鉄道マンの頑張りが希望を与えてくれました。

そんな東日本大震災時のストーリーを、吉本浩二さんが一冊のドキュメンタリー漫画としてまとめてくれました。

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総合評価

★★★★☆(面白い)

あらすじ

第1話 あの日、あの時間

2011年3月11日14時46分。東日本大震災が起きました。宮古市にある三陸鉄道本社も大きく揺れます。地震が収まると本社社員たちは何とか高台に非難したものの、更に想像できない事態が起きました。津波です。宮古市は平均9.3m、姉吉地区では国内最大の40.5mという大津波に襲われました。車も船も家も、沢山のものが流され、車のクラクションと破壊音がずっと鳴り響く。人々はその状況を呆然と眺めるしかできませんでした。

また、震災時は2台の電車が運行していました。当時車掌をしていた二人の方が当時の様子を語ります。

地震が起きて緊急停止指令が出てなんとか電車を停めたものの、その後に電波も無線も途切れて辺りの状況も分からなくなり、余震が続く中、過酷な時間が始まるのです。

第2話 暗闇の中から…

トンネルの中で孤立した1台の電車。出口までは2キロほど。本部からの指令を待ちますが、いくら待てども連絡は来ません。大小余震がずっと続き、疲労も限界に近づいていきます。このままでは駄目だと思った運転手と乗客は歩いて外に向かいました。余震が続く中、暗闇を歩くこと30分。なんとか脱出に成功します。もう1台の電車も夜に消防団の人たちが助けてくれました。

津波警報の解除後、三陸鉄道の社長は路線の状況を確認しに行きます。一駅一駅確認する中、島越駅に辿り着きました。ここは橋が頑丈だから大丈夫だと思っていましたが、いざ着いてみると絶望の景色が広がっていたのです。綺麗で人気のあった駅、のどかな風景、何もかもが無くなっていました。あるのはがれきの山だけ。それを見た社長は、一刻も早く列車を走らせることを誓います。

第3話 再開へ‼

明治三陸津波で被災した地域に安全な交通機関がほしいとのことで作られた三陸鉄道のなかでも、一番頑丈だった島越駅。その惨状を知った社員に絶望が広がります。しかし、社長は皆を鼓舞し、被害の少ない区間から復旧させることを決めます。一番早い区間で運転再開はしあさって。そして、運賃はタダ。地元の人が困っている時は金を取らずに助ける。それが第三セクターの使命であり、当然のことだと社長は言います。

さらに津波の被害があった田老の整備を急いで行います。期限は1週間。急ピッチで瓦礫をどかすために市長に頼み込んで自衛隊派遣をも動かします。そして、通常では考えられないような速さで試運転、運転再開にこぎつけたのです。再開後の一番列車では、昔の三陸鉄道開業初日と同じような住民の笑顔が溢れていました。

第4話 立ちはだかる壁

三陸鉄道には、まだまだ困難が待ち受けます。被災が大きかった区間も全線復旧させることです。壊れた橋、曲がって断絶された線路。全て直すのにかかる費用は108億円。国に入ってもらわないと実現しませんが、国の補助が入るかは微妙なところでした。しかし、三陸鉄道の存在意義がこの問題を解決します。

三陸鉄道は全線復旧しなければ、完全に孤立した路線になってしまいます。しかし、街を出るために車を使うにしても、年寄や子どもはうねるような山道を運転できません。バスで移動するにしても、乗せられる客は減り、渋滞や雪の影響も受けやすく、このままでは地域はダメになっていきます。

地域を守るためにも三陸鉄道の復旧が地域の復興・活性化には不可欠なのです。三陸鉄道を復旧させなければいけない。応援してくれる住民や震災前は三陸鉄道に乗ったことのなかった他地域の方も熱い支援してくれます。そして、三陸鉄道は国の支援を受けることに成功したのでした。

第5話 春が来るまでは…

2012年1月14日、吉本さんは三陸海岸を再訪問します。当時はまだ復興の最中です。当時の様子も回想しながら、しかし、復興に向けて確かな一歩を歩み続けている住民の話が沢山続きます。

三陸鉄道も復旧に向けて少しづつ進んでいました。一刻も早く全線開通させて顔なじみの客と再会し、お客さんが沢山笑って乗っている列車を運転する。三陸沿岸に活気を取り戻すための日々を歩んでいました。

印象に残った箇所

東日本大震災の記憶は消そうと思っても消えるものではありません。あの時私は仙台にいましたが、TVやラジオから流れてくる情報は現実のものとは思えずただただ茫然とするしかありませんでした。津波でできた瓦礫の山を見ると復旧はいつになるのか考えることもできませんでした。

そんな中、三陸鉄道は一刻も早く復旧していたのです。この物語には勇気をもらいました。地域住民のインフラであり、将来的には新たな観光客を生んで地域を活性化させる。この三陸鉄道の頑張りがあったから、今この地域はより魅力的な場所になっていると思います。

また、島越駅は現在このような復旧を遂げています。中には震災からの復興や、震災前の街の様子も展示されています。震災時の三陸鉄道の頑張りも知りながら、ここを訪れるとより感慨深いのではないでしょうか。

こんな人におすすめ

・震災時の三陸海岸沿いの状況を知りたい方

・絶望的な状況から頑張る姿に勇気をもらいたい方

・三陸海岸沿いの旅行を考えている方

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